資料2  

線虫のゲノムに書かれた寿命の設計図
Caenorhabditis elegans、シーノラブディティス エレガンス、

 単一の遺伝子変異により、寿命が延長され老化速度が遅延されるC.エレガンスの長寿命変異体が知られている。その原因遺伝子すなわち長寿命遺伝子(gerontogene)が明らかになってきているが、それらの相互関係の解析から寿命を支配している遺伝子ネットワークが解明されてきている。それらの遺伝子の多くはインスリン受容体を介するシグナル伝達機構に関するものとミトコンドリアのエネルギー代謝に関するものである。本資料ではこれらの線虫の長寿命遺伝子群が、どのようなネットワークで働いていると考えられているかを哺乳動物などの相同遺伝子の働きとともに述べたい。

I. インスリンシグナル伝達
 線虫のage-1daf-2遺伝子変異体は平均寿命と最大寿命が野生体に比べて2〜3倍に達する(文献15:C. Kenyon 1997)。age-1変異体では加齢に伴う死亡率の増大する速度が野生体に比べて遅くなり(文献16:T. E. Johnson 1990)、またdaf-2(e1371)変異体では加齢に伴う行動性の低下する速度が野生体に比べて遅延されることが示され(文献17:D. Gems et al 1998 )、これらの遺伝子変異により老化速度が遅延されると考えられている。daf-2変異体の若い成虫に関しては行動、繁殖率など野生体と変わらない。しかしage-1daf-2変異体はこの長寿表現形質だけではなく耐性幼虫形成の調節に異常を持っている。
 耐性幼虫とは、幼虫期において餌が少なく虫の密度が高い悪い環境では、幼虫期のまま成長を止め、厳しい環境の中で体内に脂肪を蓄積して長期間生存するものである(文献18:D. L. Riddle & P. S. Albert 1997)。TCA回路に比べてグリオキシル酸回路が亢進しており、貯蔵した脂肪からエネルギーを利用すると考えられている。age-1daf-2変異体のうち強い変異を持つものや、高温下では、悪い環境ではなくても耐性幼虫になってしまう構成的耐性幼虫形成の表現形質(Daf-c)を示す。このDaf-cを示す多くの遺伝子変異が知られているが、同時に長寿命形質を示すものは限られる。age-1daf-2は耐性幼虫形成に関わる遺伝子の中の、特に耐性幼虫として厳しい環境下における長期間の生存を保証するための生存維持機構に関わる遺伝子群である。変異によりこれらの遺伝子機能の発現が耐性幼虫期に限定出来なくなり、成虫において起こることにより長寿命になると考えられている。またこれらの変異体では耐性幼虫期に見られる脂肪の蓄積が成虫でも観察されることから、成虫において耐性幼虫の代謝様式を一部使っている可能性がある。一方耐性幼虫を誘導する条件下でも耐性幼虫になれない耐性幼虫形成欠損(Daf-d)形質を示す多くの遺伝子変異体も知られている。これらの変異体の原因遺伝子群が、成長の制御や厳しい環境下に適応した代謝の調節等に関与していると考えられる。これらの遺伝子変異の2重変異体の耐性幼虫形質の解析から耐性幼虫形成を支配する遺伝子ネットワークが明らかになってきた。その中でage-1daf-2に関しては、daf-2 -> age-1-> daf-18 ->akt-1/akt-2 -> daf-16の経路が示されている。一方、長寿命の表現形質の解析が行われ、長寿命を支配する経路はdaf-2daf-18daf-16の上流で働き、age-1daf-16の上流で働くなど耐性幼虫形成の経路と似ていることがわかった。
 これらの遺伝子の解析がなされてきた。daf-2はインスリン/インスリン様成長因子(IGF)受容体をコードしている(文献19:K. D. Kimura et al 1997)。ヒトインスリン受容体のアミノ酸とは35%同一、IGF-Iとは34%同一である。Cysを含むリガンド結合領域やキナーゼ領域を持ち、キナーゼ領域ではヒトインスリン受容体と50%同一である。キナーゼ標的部位は8アミノ酸残基中6つは同一である。C末端にインスリン受容体基質(IRS)を持つ。この中にはホスファチジルイノシトール3キナーゼ(PI3K)結合モチーフTyr-X-X-Metがある。
 age-1はPI3Kのp110 catalytic subunitをコードしている(文献4:J. Z. Morris et al 1996)。マウスp110aの脂質キナーゼ領域は線虫のものと37%同一である。哺乳動物では、インスリンシグナルはグルコースの取り込みやグリコーゲン、脂肪の合成、グリコーゲン分解の阻害などを酵素の直接の修飾や遺伝子発現の変化により調節している。インスリンがインスリン受容体に結合すると内在するチロシンキナーゼが活性化され、IRS-1などをリン酸化し、PI3Kを結合してシグナルを下流に伝達するなど、種々のカスケードを通して多様なインスリン作用を発現する。PI3Kはホスファチジルイノシトール3,4,5-三リン酸(PIP3)という脂質mediatorを産生し、Akt/PKB (protein kinase B) などを活性化しグルコースの輸送などを調節する。
 線虫では10以上のインスリンと1つのIGF相同のタンパク質をコードする遺伝子が知られている(文献20:F. M. Gregoire et al 1998)。DAF-2のリガンドがどれかは不明である。DAF-2(インスリン/IGF受容体)からのシグナルは自らのIRSを通してAGE-1(PI3K)に伝達され、PIP3産生を引き起こすものと考えられる。DAF-18はDAF-2の下流で働き耐性幼虫や代謝、寿命を制御するインスリン情報伝達の一成分であることが示された(文献21:S. Ogg S & G. Ruvkun 1998)。これは哺乳動物のtumor suppressorのPTEN(MMAC1/TEP1)と相同である。PTENはPIP3のイノシトール環の3位を脱リン酸化する活性を持つ。ヒトとホスファターゼ領域は38%、活性部位Cys-XXXXX-Argは90%同一であり、 哺乳動物の培養細胞でもインスリン情報に応答したPIP3蓄積を阻害する。このようにPTENは種を越えて広くインスリン情報伝達に関与することが示されている。線虫ではAGE-1とDAF-18によるPIP3の産生と分解により、その濃度すなわちシグナルの強弱が調節されていると考えられている。線虫ではもう一つのPI3Kが存在するが、その機能とそれによって産生されるPIP3の分解にDAF-18が関与しているかは不明である。  線虫では10以上のインスリンと1つのIGF相同のタンパク質をコードする遺伝子が知られている(文献20:F. M. Gregoire et al 1998)。DAF-2のリガンドがどれかは不明である。DAF-2(インスリン/IGF受容体)からのシグナルは自らのIRSを通してAGE-1(PI3K)に伝達され、PIP3産生を引き起こすものと考えられる。DAF-18はDAF-2の下流で働き耐性幼虫や代謝、寿命を制御するインスリン情報伝達の一成分であることが示された(文献21:S. Ogg S & G. Ruvkun 1998)。これは哺乳動物のtumor suppressorのPTEN(MMAC1/TEP1)と相同である。PTENはPIP3のイノシトール環の3位を脱リン酸化する活性を持つ。ヒトとホスファターゼ領域は38%、活性部位Cys-XXXXX-Argは90%同一であり、 哺乳動物の培養細胞でもインスリン情報に応答したPIP3蓄積を阻害する。このようにPTENは種を越えて広くインスリン情報伝達に関与することが示されている。線虫ではAGE-1とDAF-18によるPIP3の産生と分解により、その濃度すなわちシグナルの強弱が調節されていると考えられている。線虫ではもう一つのPI3Kが存在するが、その機能とそれによって産生されるPIP3の分解にDAF-18が関与しているかは不明である。
 線虫においてAktと相同の遺伝子akt-1akt-2がある(文献22:S. Paradis & G. Ruvkun 1998)。akt-1akt-1a(exon6を持つ)とakt-1b(exon7を持つ)の2つのアイソフォームを持つ。akt-1aはヒトAkt/PKBaと58%同一である。akt-1はPIP3が結合するpleckstrin領域、キナーゼ領域、哺乳動物のAkt/PKB活性化に必要なものと同様な2つのリン酸化部位を持つ。akt-2はヒトAkt/PKBaに55%同一である。akt-2においては哺乳類と同様なAkt/PKB活性化に必要なリン酸化部位は1つである。akt-1遺伝子変異はage-1変異による構成的耐性幼虫化の表現型質を抑制する。AKT-1とAKT-2の両方の活性をRNAi(RNA-mediated interference; 遺伝子の二重鎖RNAなどを生殖巣に微量注入することでその遺伝子の発現を抑える方法)で阻害するとほぼ100%耐性幼虫化する。これはdaf-18変異体でAKT-1とAKT-2の両方の活性を阻害しても同様である。これらの結果からAGE-1とDAF-18によって決定されたPIP3シグナルはAKT-1/AKT-2に伝達されることが示される。一方長寿命形質についてのAKTの関与は明確ではなく、DAF-2シグナルにはいくつかの平行したシグナル伝達経路があるかもしれない。しかしこれらのDAF-2シグナルはすべてDAF-16に集約され、耐性幼虫、代謝、長寿命の表現形質が調節される。
 線虫のDAF-16はForkhead(FKH)ファミリー転写因子の一つである(文献23:S. Ogg et al: 1997, 文献24:K. Lin K et al 1997)。DAF-16a1, a2とDAF-16bの3つのアイソフォームを持つ。ヒトのFKHR(DNA結合領域ではDAF-16aと65%同一)やAFX(62%同一)と相同である。DAF-16にはAkt/PKBによるリン酸化コンセンサス部位が4つある。このうち3つはヒトFKHRとAFXにも保存されている。akt-1akt-2の両遺伝子の機能破壊で起こる耐性幼虫化がdaf-16変異体では起きないことから、AKTからDAF-16にシグナルが伝達されると考えられている。哺乳動物ではAktは生存因子除去によりFKH転写因子、FKHRL1を脱リン酸化して核へ移行させ、Fasリガンド遺伝子などの転写を通したアポトーシス誘導を導くものと考えられている(文献25:A. Brunet et al 1999)。
 線虫における長寿命の表現型が、DAF-2インスリン/IGF受容体からDAF-16転写因子にシグナルが伝達されて引き起こされることから、DAF-16転写因子がどの遺伝子の転写を調節しているかが課題となる。現在2つの考えがある。一つはこのシグナルが脂肪の蓄積に関与することから、糖や脂質、エネルギー代謝に関与する遺伝子が転写されるというものである(文献19:K. D. Kimura et al 1997)。哺乳動物ではインスリンはホスホエノールピルビン酸カルボキシキナーゼ(GTP)や 糖輸送担体4 (GLUT4)、脂肪酸合成酵素などの多数の遺伝子の転写を調節している。食事制限が寿命を延長させることは広く知られており、DAF-16 によるこれらの遺伝子の転写調節によりエネルギー代謝が制御され、長期生存に有利になった可能性が示唆される。もう一つの可能性は酸化的ストレスを防御する酵素の遺伝子発現である。インスリンシグナルにより糖や脂質、エネルギー代謝が変化して酸化還元レベルが変わり、ミトコンドリアを中心とした活性酸素の生成も変動すると考えられる。これらによる細胞構成成分の傷害を軽減するために、酸化的ストレスの防御酵素の遺伝子発現が調節される可能性がある。我々は線虫のDAF-2からDAF-16に至るシグナル伝達経路を通して、ミトコンドリアに局在するMn-スーパーオキシドディスムターゼの一つの遺伝子発現が調節されていることを見出した(文献8:Y. Honda & S. Honda 1999)。これら2つの転写の経路は密接に関係しているものと考えられる。

II. clk遺伝子変異

 線虫のclk遺伝子変異体は発生における細胞周期など種々のパラメータが野生体に比べて長く、また脱糞周期や咽喉運動の周期が長くなる表現形質を持ち、繁殖率が低く、さらに寿命が野生体より長い変異体である(文献7:B. Lakowski & S. Hekimi 1996)。しかし形態的に異常は見られず、病的あるいは弱々しいといった印象はなく活動的で一見野生体と変わりはない。同様な表現形質を持つ変異体としてclk-2clk-3gro-1が単離されている。clk-2はテロメア結合タンパク質及びDNA傷害チェックポイントタンパク質であり(文献26:C. Benard et al 2001, 文献27:C.S. Lim et al 2001, 文献28:S. Ahmed et al 2001)、gro-1はミトコンドリアのtRNA修飾酵素である(文献29:J. Lemieux et al 2001)。clk-1遺伝子は187アミノ酸を持つCLK-1タンパク質をコードし、酵母のCoq7pに相同であり、原核生物からマウスやヒトにまで広く保存されている(文献30:S. Asaumi et al 1999)。 原核生物でミトコンドリアに近い細胞内寄生生物のRickettsia prowazekii に保存されていることから、真核生物ではミトコンドリアゲノムを通して獲得されたと考えられている。線虫のCLK-1(文献31:S. Rea 2001)はcoenzyme Q(CoQ)合成に関わる酵素である。またマウスにおいてclk-1相同遺伝子のノックアウト動物が作製されCLK-1がCoQ合成に必要であることが示されている(文献32:D. Nakai et al 2001, 文献33 :F. Levavasseur et al 2001)。マウス及びヒトのclk-1相同遺伝子を線虫に導入すると線虫のリズムなどの活動速度や寿命の決定の過程に実際に働くことが示されている(文献34:M. Takahashi et al 2001)。CLK-1はミトコンドリアでの呼吸機能を調節し、その遺伝子が変異すると長寿命になることから、ミトコンドリアが個体の老化速度を決める上で重要な役割を持っていることがわかる。
 興味深いことに、clk-1変異とdaf-2変異の2重変異体では相乗的に寿命が延長される。これは進化的に保存されたインスリンからFKH転写因子に至る機構と、ミトコンドリアの機能調節機構とが相互に関わり合って個体の寿命を調節していることを示すものと考えられる。インスリンシグナルに関わる遺伝子群はもちろんclk-1もマウスやヒトで保存されていることから(文献28:S. Asaumi et al 1999)、これら2つの機構は種を越えた基本的な寿命の調節機構かもしれない。